浅草寺の「ご朱印について」2012/09/21
浅草寺にて御朱印をいただいた際に「ご朱印について」という紙を挟んでありました。
やはり有名なお寺だけあってたくさんの方が朱印所に並んでおられます。
年間すごい数の方がご朱印をいただきに訪れているのでしょう。
「ご朱印について」というタイトルでありながらも、内容は苦言・・・注意書きのようなものです。
現代では写経、読経せずとも参拝の証としていただくことができる「御朱印」で、この注意書きをどう思うかは個人の感じ方だと思いますが、これを読んだ時にせめて心を込めてお参りだけはしなければと思いました。
「ご朱印について」
この頃、神社仏閣に参拝され「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。
これを「ご納経」とも言いますが、これは本来、お経を自分で書写して「お納め」することに始まっているものです。
ですから、昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典」と書かれておりました。現在は「奉拝」という文字となっています。
いつの頃か、この風習が簡略化されて、お経を納めなくとも参詣の証しとして「ご判」を頂くことになって今日に及んでおります。
そして各霊場を巡拝する「巡礼」信仰と結びついて盛んになりました。
それは観音三十三札所あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」を頂くと、その功徳によって地獄には堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいておるものです。
このような視点から申しますと、お経を書写せず、なかにはお堂に入ってお参りもせず、只ご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになるのです。
全く残念なことであります。
ですから少なくとも「般若心経」一巻ぐらいは写経なさるかご宝前で読誦なさるかして、それから「ご朱印」をお受けになるように願いたいものです。
【金龍山 浅草寺】